全国体育学習研究会 - ZENTAIKEN Web Site

全国体育学習研究会
       
まえがき
「楽しい体育」の考え方
(25回京都大会佐伯)
指導活動について
(28回福岡大会)
学習形態について
(28回・30回大会)
選択制について
(30回大宮大会)
低学年基本の運動
(59.10嘉戸他)
学習評価の概要
(29回秋田大会)
学習過程について
(29〜31回大会)
特性を生かした授業
(27回北信濃大会)
特性の捉え方
(32回富山大会、細江)
楽しい体育
運動の特性
学習のねらい・めあて
今持っている力で楽しむ
指導性と自主性の調整
自発性と指導性の調整
楽しい体育批判と
楽しい体育の可能性

「楽しい体育」は,広義には,楽しさを重視する体育活動一般を意味するが,狭義には,「運動の楽しさ」を「学習のねらい・内容」として学習を組織する体育を意味する。体育の◆における◆による楽しさは,座学から解放きれる楽しさ,教師に誉められる楽しさ,のびのびと身体を動かす楽しさ等,きわめて広く,多様である。そして,その意味での楽しい体育は,厳しい規律訓練の対極にあるものとして,志ある者の中で常に重視されてきている。しかし,体育を「運動の楽しさを学習するもの」とする狭義の「楽しい体育」は,本会の研究と実践を方向づける新しいスローガンとして,1979年に東京で開催された第24回全国体育学習研究協議会において,研究委員会が初めて提起し,翌年の25回協議会(京都)および翌々年26回協議会(東京)で,その基礎的モデルが示されたものである。

それまで本会は,「正しい豊かな体育学習」を標語としてきた。「正しい」は,主として,ルール,技術・戦術,マナーを学習の内容とし,それを正しく身につける学習,つまり「ラーニング」を意味した。「豊かな」は,学習活動・運動量の豊富さ,つまり「トレーニング」を意味した。本会は,学級をいくつかの小集団に分け,その相互の肋け合いによる学習,つまりグループ学習を学習活動の組織原理としていたから,この「正しい豊かな体育学習」というスローガンは,グループ学習を基盤にして,運動の学習(ラーニング)と豊かな発達刺激(トレーニング)の統合をめざすことを表現していたのである。

敗戦を契機とする教育の科学化・民主化の流れの中で,戦後体育における規律訓練からの脱皮は,内容的には体操からスポーツへ,方法的には一斉指導からグループ学習へという転換によって進められた。したがって,本会が求めた「正しい豊かな体育学習」は,まさしくこうした戦後体育の流れと動きを具体化し,実践化するものに他ならなかった。しかし,こうした内容と方法の転換にもかかわらず,体育は「活発な身体活動を通じた教育」,あるいは「運動による全人形成」と定義され,運動はなお教育の手段として意味・価値づけられているにすぎなかった。高度経済成長が一段落するまで,多くの人にとって生活における運動の意味・価値,つまり運動需要の基本的性格は,依然として何事かの手段にすぎなかったからである。

1970年代に入ると運動需要は大きく変化する。生活水準の向上,自由時間の増大,ファン・モラリティの確立等によって人々の間にスポーツの可能性が広がるとともに,都市化や機械化,環境汚染や過剰ストレス等による健康不安が蔓延し,暮らしにおける運動の必要性が急激に増大したからである。こうして,生活における自発的・日主的な運動参加が重要な生活課題となり,運動需要の社会・文化的性格は,仕事・労働からレジャーへと移った。つまり,新しい運動需要はスポーツ需要,スポーツの大衆化として表出するのである。

運動需要のこうした変化と相まって,新たな教育需要が「生涯学習論」として登場する。学習を自己の可能性の開発と,自分らしい人間的成熟を求める人生全体の営みとしてとらえ,学校学習をその基礎的なものとする考え方である。つまり,学校学習は,仕事に役立たせるためにだけ行われたり,そこで完成させ終えたりするものではなく,自己成就に向かう生涯に続く学習を保障するように,学習そのものの意味と価値を学ばせ,その意欲を育てるべきものとなるのである。

産業社会から脱産業社会への変動の中で,このように運動需要も教育需要も変化した。それは,体育に対する「生涯スポーツへの◆としての教育」の要請である。本会の「運動の楽しさを学習のねらい・内容」とする楽しい体育論は,こうした要請を革新的に先取りする理念・方法として提起された。したがって例えば,標語の「正しい」から「楽しい」への転換は,望まれる運動学習の性格と質を,文化実体主義を超えて,主体の意味生成の過程としようとする強い意図を内包しているのである。(佐伯年詩雄)

【全体研ニュースNo.92(2004-3) 楽しい体育のキーワード:第1回より引用】